【レポート】南アフリカの反政府運動と民主化

南アフリカ共和国の反政府運動と民主化

南アフリカにおける反政府運動の概要

 南アフリカ共和国には、かつて白人支配に基づくアパルトヘイト制度が存在していた。この制度によって有色人種は差別的に隔離された。アパルトヘイト撤廃を目指し、南アフリカでは、白人最後の大統領となったデクラーク大統領、英雄的存在であったネルソン・マンデラらを中心として民主化運動が興った。労働組合と青年組織からなるトランスヴァール地域職場放棄委員会はゼネストを宣言し、これには100万人以上の労働者や学生が参加した。全国に広がる反政府運動の高揚に対し、政府は治安部隊を派遣して武力弾圧に乗り出した。最終的にマンデラが27年もの囚人生活から解放されたことにより、アパルトヘイトは終焉を迎え、南アフリカは民主化へのスタートを切ったのである。

反政府運動が用いたフレーム

 南アフリカでは、アパルトヘイトに基づく人種差別が国の政策として公に進められており、国民の不満は反対運動として現れ、全国に広まった。反政府運動の主体となったのが、1983年に結成された「統一民主戦線(UDF)」である。この団体は、マンデラ解放委員会、婦人団体、学生組織等の約600団体が結びつき、非暴力をモットーとして掲げた組織である。反政府運動において、UDFは「南アフリカを統治不能にしよう」というフレームを用いた。これに触発された活動家や若者は、各地で反政府運動を展開した。治安部隊の派遣によって政府は反政府運動の鎮圧を試みたが、UDFは非暴力の立場のもとで商品不買運動を開始し、白人の経営する商店での商品不買を呼びかけた。政府による弾圧が厳しさを増すなかで、UDFは家賃不払い運動、バス乗車拒否運動等を継続的に行った。しかし、反政府勢力は徐々に非暴力の限界を感じ、武力による反対運動も開始することとなった。アフリカ民族会議(ANC)は、さらなる武力闘争と逃走を拡大するため、これまで行ってきた公共施設の破壊に限らず、一般人への被害もやむなしとした「人民戦争」戦術を採択した。ANCゲリラ組織は5年間にわたって年間200回以上のゲリラ活動を牽引し、政府に大きな打撃を与えた。また国際社会も、反政府組織に対する政府の一連の弾圧を受けて経済制裁等の措置をとった。1986年、国際連合安全保障理事会は加盟国である南アフリカへの武器の輸出を禁止した。

民主化の成功

 1989年、南アフリカにおける白人最後の大統領となったデクラーク大統領は、一連の反政府運動を受け、アパルトヘイト廃止の動きを強めた。まず、それまで禁止されていた国内での反政府組織の集会やデモを許可し、逮捕されていたANCの指導者7名とマンデラを釈放した。また、1991年のアパルトヘイト法廃止を嚆矢として、人口登録法、原住民土地法、集団地域法も相次いで廃止した。こうしてアパルトヘイトは撤廃され、ANCを中心として行われた反政府運動は成功を収めた。

 ところが、反政府勢力が自由になると、白人に対する黒人の怒りが爆発し、各地で武力衝突が発生し、大きな混乱が生じた。結果として流血なき平和的な移行とはならず、14,000人以上が犠牲となった。しかしながら、1994年、南アフリカにおいて初めて全人種による民主選挙が行われ、アフリカ民族会議が圧勝し、マンデラが黒人初の大統領に就任した。こうした民主化を受け、南アフリカは国連総会の議席を20年ぶりに回復した。アフリカ統一機構や南部アフリカ開発共同体にも加盟し、南アフリカは国際社会への復帰を果たした。

【参考文献】

林晃史『南部アフリカ諸国の民主化』アジア経済研究所(1993)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です