【レポート】「社会心理学の用語」を使い、物語を作ってみた!

「社会心理学の用語」を使い、物語を作ってみた。

社会心理学の用語を使い、物語を作ってみた!

過去に、社会心理学で興味を持ったワードを抽出し、物語を作ってみました!心理学や社会学専攻の方には参考になるかもしれません!お時間ある時に読んでみて下さい!

「新社会人が失敗と成功を重ねながら、成長していく3年間の物語」

日差しが強く照りつける中、チャドは今日も懸命に白球を追いかけていた。チャドはハーフで母親が日本人、父親はアメリカ人だ。大阪生まれ大阪育ちのチャドは幼い頃に両親が離婚し、母親に育てられてきた。顔は父親に似て、鼻が高く顔立ちも立派だ。背も高く、身体の骨格にも恵まれており日本人離れしている。小学校から野球を始め、高校では甲子園に出場し、大学でも野球を続け、大学通算32HRを記録した。順風満帆な人生を過ごしてきたチャドは、就職活動も自分の望んでいた大手のメーカーからすんなりと内定を得た。

チャドの野球人生が終わり、新社会人としての生活が始まった。チャドは野球にどっぷりと浸かった人生で、周りも野球に没頭している者ばかりだった。練習後、部室にいる時は全員裸になりノリノリな曲をかけて皆で踊り狂ったり、教室でサッカーをしていたら上履きが飛んで蛍光灯が割れ、監督にボコボコにして怒られる様な陽気な連中ばかりだった。しかし、自分と同期のメンバーを見渡すとしっかりと勉強をして超一流大学を卒業してきた者ばかり。皆良い人なのだが、話がまったく合わない。同期の2人だけはチャドと同じ様なスポーツに没頭した人生を歩んできており、このメンバーとはよくツルむ様になった。自分の気の合う人間だけとは楽しく絡んで、他とは壁を作って優しく接しない。内集団ひいきをしている自分がいた。

入社して半年が経ち新人研修も終わり、ようやく会社の一員として本格的な仕事が出来る様になってきた。自分の想像よりかは仕事に上手く適応でき、与えられた仕事に向かって行動していける様になった。ただ、職場の人間と相性が悪い事には変化がなかった。むしろ、悪化していく一方だった。上司は良い人なのだが、ちょっとふざけてくる感じにイラっとしてしまう。優しく接してくれる人に対しても「何かを企んでいるのではないか?」と感じてしまう。そして、「自分が本当にこの会社でやっていけるのだろうか?」と思う日々が続いた。「この仕事よりも下のレベルの仕事もある!なんぼでも仕事なんか変えれる!」と自分を満足させる様に考えて、納得させる。認知不協和理論の状態に陥っていた。

とある日の仕事終わり、チャドが唯一楽しく時間を過ごせる2人のうちの1人がチャドともう1人を飲みに誘った。店に着くと、仕事が終わらなかった為にチャドだけが遅く合流した事もあり、他の2人はすでに飲み始めていた。普段通りに飲んでいると突然「オレ会社辞めるんだ!」と1人が言いだした。チャドは、時間が止まったかの様に動きが止まった。「ほんまに言うてんの?」とチャドが改めて尋ねると、友達はチャドの目を見つめながらしっかりと頷いた。これを聞いてからは、チャドは終始暗いままだった。同期が辞める理由として「職場と自分が合わない事」「上司に常に服従した人生が嫌な事」「自分の本当にしたい事を叶える為に行動していきたい事」「同調行動をする必要があり、自分が変わりそうだった事」を述べていた。これらの理由は、自分に何かを訴えかけている様な気がした。チャドはどうにかして友人を説得しようとしたが、何も思いつかなかった。精査可能性モデルを使って理論的な思考を統一し、中心ルートか周辺ルート、どちらも使う事すらできなかった。

チャドは野球を長い事続けていたが、ドラムも小学生から続けていた。母親が見ていたアメリカのバンドの映像を見て「かっこいい!」と思いドラムを始めた。そして、友達とバンドを組んでライブハウスでライブを行ったりしていた。チャドの心には「将来は世界で活躍するドラマーになりたい」と想いがあった。同期が辞める決断をした事が、自分の中にあったモヤモヤを明確にした。「自分の夢を追いかけよう!したい事する人生歩んだ方が絶対おもろいわ!アメリカに行って音楽を突き詰めていこう!」。チャドは父がアメリカ人だったが、アメリカに行った事は1回もなかった。ただ、ロックンロールやブルースが大好きだったチャドはアメリカに挑戦する決断をした。しかし、急に仕事を辞める事が難しかった為に「後半年は仕事を続けよう!ほんで入社してからピッタリ1年で仕事やめよ!」と心の中に誓った。「周りもこの意見を尊重してくれるやろう!」と自分の意見が大多数とチャドはフォールスコンセンセスの様に思い込んでいた。ただ、昔のチャドは裸の王様の様に多数派であっても「俺だけやで!こんな事を考えてんのは!」とドヤが凄く、集合的無知の状態だったので、少しは成長したようだ。

入社して1年が経ち、チャドは勤めていた会社を辞めた。決断に一切迷いはなかった。この理由として、チャドは野球が大好きだった。打てない時期もあったし、練習がキツくて心が折れそうになった事など何回もあった。ただ、全て乗り越えられてきたのは野球が心の底から好きだったからである。この経験から、チャドは自分が好きな事に挑戦していく事は生きていく上でとても重要な事だと感じていた。

アメリカに旅立つ上での問題点として、まず、チャドは英語を身につける必要があった。チャドはアメリカ人とのハーフだが、生まれてからすぐに両親が離婚した為、父親に会った覚えもなく顔すら知らない。よく「英語ペラペラそうやん!」とバイアスから生じた事を言われていたが、日本人以上にチャドは英語が出来なかった。笑 なぜなら、野球ばかりで一切勉強してこなかったからである。もう一つの問題点は、貯金がほぼ無かったこと。チャドの昔からの癖なのだが、行動力は素晴らしい。しかし、考えが短絡的で常にヒューリスティック。そして、行動に対して準備が伴っていない。というのがチャドの癖だった。

チャドは英語力を向上させる為に猛勉強を始めた。そして、お金を貯める為に友人の焼き鳥さんでアルバイトを始めた。友人はチャドに時給1500円を提示し、チャドの夢を叶える為に全力でサポートしてくれた。英語を猛勉強しながらアルバイトを続けチャドは「1年間この生活を続けよう!そして、英語は最低限困らないようにして、200万貯めよう!」と決断した。英語は基本であるbe動詞から勉強を始め、焼き鳥屋さんでは持ち前の明るさとルックスからお客さんのウケはとても良かった。

猛勉強と焼き鳥屋さんでアルバイトを始めてから1年が経ち、お世話になった友人の焼き鳥屋さんを辞めた。焼き鳥屋さんではすっかり人気者になったチャド。疲れていたとしてもいつでも明るく振る舞い続けた。「自分は明るい人間だ」という自己呈示をチャド行っていた。辞める際には泣いてお見送りをするお客さんもいた。自分の目標にしていた貯金額は200万円を超え、英語もしっかりと自分の意思を最低限伝えるレベルには達した。アメリカにいく準備が整った。そして、チャドは関西国際空港を出発しロックンロールやブルース発祥の地「メンフィス」へと向かった。チャドはアメリカについての知識はなかったが、音楽に関しての知識は豊富で「メンフィス」という街を知っていた。これはチャドの自己スキーマによる知識の体制化だ。

チャドは大きなスーツケースと共にアメリカの地に足を踏み入れた。メンフィスはアメリカのテネシー州の西端にある都市だ。チャドが想像していたよりメンフィスは少し暖かく感じた。気温は4月の平均と変わらない16度前後で、少し雨も降っていた。チャドは早速、タクシー乗り場へと向かった。そして、勉強してきた英語を活かし、これからお世話になるホームステイ先に向かった。しっかりと勉強してきた事によって、英語を話す時に単語が出てくる様になっていた。チャドの学習にプライミング効果が発揮されていた。

タクシーを降りると、チャドは度肝を抜かれた。周りにある家が全部とてつもなく大きいのだ。そして、前から優しそうな顔をしてメガネをかけた白髪のお婆ちゃんがチャドの元へとやってきた。これから、チャドがお世話になるホストマザーである。チャドはホストマザーを見た瞬間に「絶対にこの人は優しい」とステレオタイプ化を行った。理由として「白髪でメガネをかけ、優しそうな顔=優しいおばあちゃん」といった固定化されたイメージの影響が挙げられる。ハグして、家へと案内してくれた。大きな家にはお婆ちゃん一人が住んでいる。周りを見渡すと写真が煉瓦造りの壁一面に飾ってあり、心が暖かくなる様な感じがした。チャドは部屋へと案内された。キングサイズベッドが一つと、勉強机。そして。大きな窓からは雨が止みカンカンの日差しが照りつけていた。チャドのアメリカ生活が始まった。

まず、メンフィスにあるライブハウスやバー、レストランを巡っていった。ここの街はアメリカの中でも治安は安定している方。「まずは知り合いを作って、自分の顔を広めよう!」この思いで、メンフィスの街を歩き回った。そして、収入を少しでも得るためにいくつかの店に「Please let me work here !!」と何度も頭を下げて回った。すると、許可をくれたバーが1つ現れた。ここのバーでは常にミュージシャンによる演奏が行われているのだが、チャドがアメリカに来た目的をマスターに伝えると「チャドも叩いていいよ!」と演奏を許可してくれたのだ。しっかりとマスターに自己開示できた事が結果となって表れた。

自身の働くバーでドラムを演奏しながらお金を稼ぎ、メンフィスの街で毎日行われているミュージシャンの演奏を見て回った。日本との大きな違いは「皆が心から楽しそうに演奏していること。また、お客さんも自分の好きな様に楽しんでいること」。演奏を見て、チャドは思った。野球メインで人生を過ごしてきたチャドにとって、メンフィスで演奏するミュージシャン達の実力は「半端ない」と。自分とは比べる事も出来ず、天と地の違いを感じていた。しかし、チャドの夢は薄れる事なく、ドラムを演奏する日々が続いた。

メンフィスに来てから1年が経ち、チャドがいつも通りメンフィスで行われている演奏を見ていると、あるドラマーの演奏が目に付いた。ビートを刻む音が身体にスッと染み込んできて、叩く姿や一つ一つの音がなんとも言えないほど自分を引きつけた。数々の素晴らしいドラマーをアメリカで見てきたが、このドラマーはチャドにとって別格だった。

演奏が終わると、向こうからチャドの方へと歩み寄ってきてくれた。「君がチャド君だね」チャドが頷くと「君の話をマスターから聞いていたよ、ジョンって呼んでくれ!よろしく!」とこのドラマーは言った。なんと、この方はチャドの働く店のマスターの友達だったらしい。そして、一緒にご飯に行く事となった。

チャドが席に座って待っていると、20分遅れでジョンが来た。「ちょっと遅れちゃったな!」と笑いながら大きな体格を揺らして席に座った。チャドは少し緊張していたが、ジョンの陽気な性格に緊張が和らいだ。そして、話しを進めていく中でジョンが凄い人物だという事が判明した。世界的に有名なバンドのドラマーだったのだ。ただ、世代的には親世代でチャドはこのバンドを知らなかった。この日は、2時間ほど酒を飲みながらジョンとたわいもない会話を楽しんだ。話しをしている中で「なんだかこの人、俺にちょっと似ているなぁ」とチャドは思った。

次の日、目が覚めると日本から手紙が届いていた。母親からだった。内容はチャドのアメリカでの生活を気にかけるものだった。そして、手紙の中に一枚の写真が入っていた。取り出してみると、チャドが赤ん坊の時に家族3人で撮った写真だった。「びっくりさせるかもしれへんけど、これがあんたのお父さんやで。お父さんな、世界で有名なドラマーでな、あんたと同じメンフィスにいるねん。」チャドは驚きを隠せなかった。自分の父親がジョンだったとは。

『使用した用語』

・バイアス ・自己開示 ・自己呈示 ・プライミング効果 ・ステレオタイプ ・自己スキーマ ・認知不協和理論 ・フォールスコンセンサス ・ヒューリスティック・集合的無知 ・服従 ・精査可能性モデル ・同調行動

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です