【レポート】写真というメディアと丹下健三

【レポート】写真というメディアと建築家・丹下健三、 あるいはその作品との関係

※著作権の関係上、図版は掲載しておりません。

はじめに

 戦後日本の建築界を牽引した建築家・丹下健三は、広島ピースセンター(広島平和記念公園・記念資料館)や国立代々木屋内総合競技場等の建築作品で知られる。本稿では丹下自身が撮影した写真を分析することにより、写真というメディアと丹下の関わりについて述べる。

撮影者:丹下健三

 丹下の生誕100周年であった2013年、それまで公にされることのなかった多数の史料が公開されることとなった。その中には、1940年代末〜1970年までの期間に丹下自身によって撮影された6,000カット以上の写真フィルムが含まれていた。1949年から1959年の10年間に撮影された写真フィルムのコンタクトシートを収録した書籍が『TANGE BY TANGE 1949-1959 丹下健三が見た丹下健三』である。

 コンタクトシートには、しばしば赤色ペンによってトリミングを指定する線が描き込まれている。中でも、広島平和記念資料館を撮影したうちの1枚は丹下の写真感覚の鋭敏さをよく表している(図3)。この1枚は、写真の右上部分をトリミングすることによって資料館が画面の中央に設定されている。この設定により、画面上部→空、中央部→資料館、下部→人集り、と画面における要素が明快に区分され、より資料館そのものを際立たせることに成功している。

 また、微妙にアングルを変えて同一箇所を撮影した写真も目立つ。一例として、丹下は1953年に竣工した愛媛県民館において、多数のトップライト的穿孔のある大ホール天井部や照明のようすを類似アングルで執拗に複数枚撮影している(図1、2)。

 コンタクトシートを概観すると、水平性・垂直性を意識して撮影された写真の少なさにも気が付く。とりわけ建築雑誌に掲載される建築写真において、アオリの補正などによる水平性・垂直性の強調は定石の手法である。それらが意識されている写真も確認できるものの、あくまでも全体の一部にすぎない。この事実は、丹下が強調を行おうとすれば十分に可能であったにも関わらず敢えて行わなかったことを示唆している。したがって、丹下による写真撮影行為は一般的な建築写真の撮影とは異なる意図を持っていたと考えられる。果たして丹下はどのような目的で自らの建築作品を撮影したのであろうか。

 丹下の作品を多数撮影した建築写真家・村井修は、丹下の写真へのこだわりについて証言している。村井が丹下の作品集のため広島ピースセンターを撮影した写真のうち、建築物の屋上に10人以上の報道関係者が視認できるものはほぼ採用されることがなかったという。また、丹下が村井の写真集に寄せた「(引用者註:村井が)意地悪そうな目つきで撮る」[1]というコメントは、村井が建築写真を撮影する際に対象建築物だけでなく「周辺のビルの看板だとか電線だとか雑多なもの」3をも捉えることを指している、と村井は指摘する。丹下は自身の建築の造形について、自身のなかに明確なヴィジョンを持ち写真というメディアを制御しようとしていたのである。

【図版】

図1 『TANGE BY TANGE 1949-1959』89頁

図2 同上 91頁

図3『芸術新潮』2013年8月号 56頁

【参考文献】

北川フラム(丹下健三生誕100周年プロジェクト実行委員会)監修『丹下健三 伝統と創造—瀬戸内から世界へ』美術出版社(2013)

『生誕100年記念大特集 磯崎新が読み解く知られざる丹下健三』「芸術新潮」2013年8月号、新潮社

丹下健三・藤森照信『丹下健三』新建築社(2002)

岸和郎・原研哉(監修)豊川斎赫(編著)『TANGE BY TANGE 1949-1959 丹下健三が見た丹下健三』TOTO出版(2015)

ビアトリス・コロミーナ(著)松畑強(訳)『マスメディアとしての近代建築 アドルフ・ロースとル・コルビュジエ』鹿島出版会(1996)

松原慈『artscape—Artwords ル・コルビュジエ』http://artscape.jp/artword/index.php/ル・コルビュジエ(2017/02/03参照)


[1] 『インタヴュー〈撮りたいアングルが同じだったので、びっくり〉村井修』「芸術新潮」2013年8月号、新潮社、73頁

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