【レポート】妊娠中絶の本質

妊娠中絶の本質

中絶」に関して、一度は考えたことがある方、多いのではないでしょうか。この記事を書いた、私自身もあります。しかし、記事を書き終えたいま、世界観がガラリと変わりました。今までの考えは、中絶に関する正確な情報や知識が伴っていなかったからです。下記記事に、中絶に関しての正確な情報を体系的にまとめておきました

記事を読み、再度中絶に関して考えてみて下さい。妊娠中絶に関する本質が見え、あなたの考えがガラリと変わるかもしれません

  • 妊娠中絶の定義

まずは、妊娠中絶の定義について述べていく。ウォレンによると、妊娠中絶とはある女性が自発的に妊娠を終える行為、または彼女の妊娠を終えることを他人に許容する行為であると定義されている(江口、2011)。これは妊娠中絶を「妊娠」ということに対する一行為として捉えている定義である。その一方で胎児に焦点を当てた定義も存在する。ディゴリイの著書によると、妊娠中絶は胎児が母体から離れても生きられる力を備える前に妊娠を止めることだと定義されている(ディゴリイ、1985)。また、妊娠中絶の定義は一つに定めることは難しく、混乱され、変化し続けるが、その中でも唯一「胎児の死」という定義は国際的に認められているとされている(ディゴリイ、1985)。このように、妊娠中絶は「胎児の死」へとつながる一つの決断及び行為として定義づけられていることがわかる。

  • 妊娠中絶の歴史

妊娠中絶の歴史を振り返っていこう。日本において妊娠中絶は1948年に合法化され、1949年と1952年の大幅な改定によって手軽に受けられる処置になった(ノーグレン、2008)。具体的には1949年の改正によって日本は社会経済的による中絶を認めた世界初の国になった。また、1952年の改正によって中絶の許可を得ようとする女性が審査会に出向く必要もなくなったのである。他国がこの改定より20年から30年後に中絶を合法化する中で、日本はこの当時、上記2つの改定が行われ、妊娠中絶はより身近な、受けやすいものとなった

  • 海外での妊娠中絶についての意見

妊娠中絶の定義と日本での改定を踏まえた上で、次に海外での妊娠中絶に関する意見を深掘りしていきたい。マザー・テレサ女史は、妊娠中絶に対して「堕胎は罪です。なぜなら、それは胎児の生命だけでなく、それに関わる全ての人の良心を、死なせてしまうからです」という意見をもっていた。また、アメリカのレーガン元大統領も、これまでに幾度も妊娠中絶を非難してきた。レーガン大統領もマザー・テレサ同様、妊娠中絶は母と胎児のみならず、「国民全体」の問題として捉えている。国民の「良心」が影響されていると考えているのである。「中絶は殺される胎児だけでなく、私たち全てに関わりのある問題」として捉えられており、胎児という人間の生命の一形態が持つ尊厳を損なえば、必ず全ての人間の生命の尊厳をも失うことになると考えられている(レーガン、1984)。上記2つの考えは国民全体の「良心」にフォーカスした見解であるが、トゥーリーによると、「人間の胎児と新生児は生命に対する権利を持つ」と主張しており、「権利」という面に着目している(江口, 2011)。同じく「権利」という見方でいうと、妊娠中絶を「生まれる権利か、産まない権利か」という考え方も存在する(ローゼンブラット、 1996)。これは、権利に焦点を置いているものの、「誰の権利か」が議論となる見方である。前者であれば、胎児に焦点を置いており、胎児の「生まれる権利」を尊重している。その一方で、後者は母親に焦点を置いており、母親が「産まない」と選ぶ権利のことを指す。後者の「母親の権利」の観点から見ると、一つの傾向が挙げられる。

1900年前後から1910年代にかけての話になるが、妊娠中絶を行ったほとんどの女性が独身であることだ(岩田、2009)。これは、家族計画と無縁な独身女性が中絶を行うというのが、妊娠中絶を行う傾向にある。その一方で、少数ではあるが夫婦間での妊娠中絶も存在する。その場合の多くは「経済的理由」である。夫婦間で妊娠が発覚しても、経済的理由で妊娠の継続が困難であり、結果として妊娠中絶を止むを得ず選択するケースである。残酷ではあるが、中には女性の妊娠中に夫がなくなり、経済的に妊娠の継続が難しくなったケースも存在する(岩田、2009)。以上のように、「国民の良心」「胎児の権利」から妊娠中絶を反対する意見が多く存在するが、「母親の権利」からとらえると、やむを得ないケースも存在することが見て取れる。

  • 考察

皆さんは、ここまで読み、心境や考えに変化はあったでしょうか?

私自身は「経済的理由」など、自身の当事者意識に足りない部分が多かったように思います。当事者にならなければ経済的要因などは意識し難いと思います。自分の将来を想定した際も、もちろん無計画な妊娠自体を避けることが最善の策ですが、万が一妊娠中絶を視野に入れざるを得なくなった場合、胎児の権利や自分の権利のみならず、「経済的要因」や、先ほどの国民全体の影響から考える、「社会への影響」を視野に入れて選択する必要性を今回学びました。また、様々な観点から決断をしたのちも、唯一国際的に同意見とされている「胎児の死」を自分が選択するという自覚を持って、決断していきたいと思います。

今回の記事が、皆さんに少しでも刺激を与えれたら幸いです。

【参考文献】

岩田重則著「いのちをめぐる近代史 堕胎から人工妊娠中絶へ」 吉川弘文館 (2009)

ティアナ・ノーグレン著「中絶と避妊の政治学 戦後日本のリプロダクション政策」 青木書店 (2008)

ピーター・ディゴリイ、他著. 池上千寿子、根岸悦子訳「文化としての妊娠中絶」 勁草書房 (1985)

ロジャー・ローゼンブラット著. くぼたのぞみ訳「中絶 生命をどう考えるか」 晶文社 (1996)

ロナルド・レーガン著. 中山立訳. 「私は許さない 中絶と国民の良心」 株式会社データハウス (1984)

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