【レポート】ピョートル・パヴレンスキーと張洹

ピョートル・パヴレンスキーと張洹

はじめに

 ピョートル・パヴレンスキーの「固定」は、モスクワの<赤の広場>で自らの陰嚢に釘を打ちつけ、広場の敷石に陰嚢を固定して全裸のまま身動きをしない、というパフォーマンスである。

 本稿では、パヴレンスキーによるパフォーマンスの約20年前、中国において類似のパフォーマンスを行った張洹を取り上げる。張と比較することで、パヴレンスキーのパフォーマンスについてのより深い理解を図りたい。

張洹について

 張洹は1965年、中国河南省安陽市に生まれた。河南大学と中央美術学院で学び、現在は上海とニューヨークを拠点としている。

 張のパフォーマンスで著名なものとして、1994年5月の「12㎡」と同年6月の「65kg」が挙げられる。

「12㎡」は、全裸の張が身体に蜂蜜と魚脂を塗りたくり、北京郊外の公衆便所内で椅子に1時間座り続ける、という内容であった。12㎡は、この公衆便所の面積であるという。不衛生な場所であるため、すぐに張の身体に多数の蝿が集りはじめる。しかし張は身動きをせず、ただ1時間その場所に存在している。その様子の記録として数枚の写真が残っているが、光沢を放つ張の肉体には神々しさすら感じられる。和多利浩一はこのパフォーマンスについて「皮膚とか、肉体とか、目や耳ではない感覚が刺激され[i]」るとし、さらに「排泄物、腐敗、臭い、つまり有機物のもの、あるいは肉とか生理、そういう方向のイメージがいやというほどつめこまれている[ii]」と述べている。

 自らの体重を題名とした「65kg」は、白い布団を20枚敷いた気温30度のアトリエで行われた。「12㎡」と同様に全裸の張は、14本のチェーンによって梁から吊るされており、その顎は革のベルトで縛られている。そして自らの腕から250cc採血し、熱されている医療用琺瑯皿に滴らせていった。血は熱されたことで臭気を発する。牧陽一は「鉄の鎖の金属音、肉に食込む冷たいきらめきは、肉体の質感との絶妙なバランスを見せ、異常な緊張を我々に与える[iii]」と評した。

 この2つのパフォーマンスに共通するのは、張が「肉体を極限状態にまで責め立てる、一種の処刑のような自虐的な表出[iv]」を試みているということである。そして和多利が指摘したように、これらは視覚や聴覚のみならず、嗅覚、触覚、味覚といった五感のすべてを刺激する。また、パフォーマンスの背景には中国当局による抑圧に対しての抗議という姿勢がちらつく。

 和多利は早くから張に注目しており、1997年4月6日早朝、張は和多利がキュレーターを務めるワタリウム美術館で「3006㎥—65kg」というパフォーマンスを行うこととなる。3006㎥というのはワタリウム美術館の建物の容積を表していた。美術館、そして道路を挟んで美術館の向かいとなる建物を輸血用ゴム管100本で結び、張は建物の上で美術館と対峙した。ゴム管には風鈴が付けられており、頻繁に音が発生した。和多利は当日の様子を「気がつくと、張洹の体を中心にした、不思議な空間ができあがっていました。(中略)人間の力、精神、心といったオリジンに触れることができました[v]」と語っている。

張とパヴレンスキーの共通点

 張とパヴレンスキーにはいくつかの共通点が見受けられる。

 まず外見に関して、両者は髪を短く刈っており、僧侶あるいは囚人を連想させる。また張は多くのパフォーマンスを全裸あるいは半裸で、パヴレンスキーは「屠殺体(Туша)」や「固定(Фиксация)」といったパフォーマンスを全裸で決行した。頭髪も衣服も身につけない状態でパフォーマンスを行うことについては、パフォーマーの個人的特徴の消去による行為の匿名化・普遍化という意図が読み取れる。牧は裸体の理由を「『弱くもろくはかない』身体によって政治暴力に対峙してみせるというアートの姿勢そのもの[vi]」であるとしている。

 そしてパフォーマンスそのものについても、張とパヴレンスキーは自らの身体を徹底して虐げる点で共通している。これは身体が脆弱なものであるということを主張するとともに、一種、身体を犠牲にすることによって当局への強い抗議の姿勢を示しているのではないだろうか。

まとめ

 張とパヴレンスキーのパフォーマンスで見られる身体の犠牲が当局への強い抗議の姿勢を示していると上述したが、この構図はまさにチベット僧による焼身自殺等にも当てはまる。誤解を恐れずに記せば、焼身自殺も一種のパフォーマンスである。自傷の程度の大小に比例して注目度は上下する。また、国家(当局)という巨大な権力と、1人の人間の身体という矮小なものとの間には鮮やかな対比が成り立つ。

 したがって、張とパヴレンスキーのパフォーマンスは複数の同じ要素を持つものの、パヴレンスキーが張のパフォーマンスに影響を受けた、あるいは強く意識したというよりも、対象と目的がほぼ同一であったことによって、結果的に手段が似通ってしまった可能性がある。


[i] 和多利浩一「中国のコンテンポラリー・アートが見つめるもの」小林恭二・刈間文俊・浅葉克己・中野美代子・孔健・和多利浩一『チャイナアート』NTT出版(1999) 198頁

[ii] 同上

[iii] 牧陽一『アヴァン・チャイナ―中国の現代アート―』木魂社(1998) 138頁

[iv] 同上

[v] 和多利、220頁

[vi] 牧陽一『中国現代アート 自由を希求する表現』講談社(2007) 47頁

【参考文献】

張洹『ZhangHuan biography』http://www.zhanghuan.com/ShowInfo.asp?id=1&iParentID=0(2016/1/27参照)

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