【レポート】シュナーベル『フェルゼンブルク島』

【レポート】ユートピアとしての『フェルゼンブルク島』

『フェルゼンブルク島』にみる現実批判

 シュナーベルの『フェルゼンブルク島』は、島にたどり着くまでの体験を描いた部分と、島の生活を綴った部分で構成されている。登場人物たちはみな、ドイツで質の低い生活を強いられていたが、フェルゼンブルク島にたどり着いてからは豊かな生活を送っている。ここではドイツでの生活描写の部分が現実批判になっており、島での生活がユートピアの世界となっている。この作品における現実批判には主に2つの柱がある。1つは戦争、もう1つは宗教である。18世紀、ドイツでは三十年戦争が勃発した。戦争により、登場人物たちの多くには、両親あるいは片親の早死、一家離散、孤児化等の様々な不幸が訪れる。宗教に関しては、宗派間の争い、宗教的迫害、金銭による宗教的地位の売買等が行われている。これらの点から、18世紀ドイツの荒廃の様子が伺える。

島での生活について

 では、ユートピアとして描かれているフェルゼンブルク島の生活はどのようなものであったか。島は年間を通じて温暖な気候で自然豊かであり、人々は自給自足の日々を送っている。みな勤労をいとわず、農業、漁業、牧畜、職人の手仕事のいずれかを行っている。貨幣はなく、共有・共産制度を採用し、贅沢はしない。宗教とそれに基づいた道徳心を持っており、教会の建設が島の努力目標である。争いや犯罪が発生しないため、法律制度はない。決して孤立しているわけではなく、絶えず航海をしており、ヨーロッパとの通交を行っている。しかしながら島そのものは閉鎖的で、内部が外から見えないようになっている。

「どこかにあった場所」「どこにもない場所」

 ここで、島がヨーロッパとの通交を行っている点に注目したい。ドイツやヨーロッパについて散々に批判していたにもかかわらず、必要な物資はヨーロッパから調達しているのである。しかし、「島」という物理的に限定された世界ゆえに、他の世界に対する差別意識はより一層強い。自分たちの島だけが特別で、自分たちさえよければ周りの世界がどうなろうと構わない、という自己中心的なユートピアの世界である。実際には、国民全員が同一の目標に向かい、同一の宗教心、道徳心を持つことは不可能である。そうした意味で、このフェルゼンブルク島は「どこかにあった場所」のように思えるが、実際は「どこにもない場所」であり、まさにユートピアであるといえる。

ユートピア文学の担う役割

 最後に、実現不可能な理想を描いたユートピア文学というもの――とりわけ『フェルゼンブルク島』が担っている役割について述べる。ユートピアには、現実から逃避しようとする観念と、現実世界を改革しようとする観念とが存在すると考えられる。ユートピア文学の存在意義は、現実の世界を客観的に観察し、そこに改善すべき点を見いだすこと、さらには理想の世界を描き、人々が忘れかけていたような考え方や価値観を提示することにある。もちろん、ここで描かれるようなユートピア世界が実現不可能であることは言うまでもない。重要であるのは、人間が生きる上で本質的に肝要なものを読者に啓蒙することである。そうして社会をよりよい方向へ導くことが、このユートピア文学の担う役割である。

【参考文献】

藤平 悳郎『シュナーベルの〈フェルゼンブルク島〉のユートピア像とその性格』明治大学教養論集 [263](1994)1-15頁

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